今日は、「人生どう生きていけば良いか分からない」「何が楽しいんだろう」と自分の人生や就活にネガティブな感情を抱いている方に向けて、吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」を要約・僕なりに解釈したので、ぜひご一読いただきたいです。
君たちはどう生きるか
この本では、コペル君と呼ばれる主人公の行動と、コペル君の人生の先生にあたる叔父とのアドバイスから、人生の在り方を説いています。
「おじさんNOTE」と呼ばれる指南書から、これからの人生、どう生きていくかという観点で要約していきたいと思います。
ものの見方について

「人間て分子みたい」というコペル君の発言におじさんが感動します。
おじさんがこのコペル君の発言に感心したポイントとしては、
「自分という枠から抜けて、客観的に自分・もしくは人間を見れている」点です。
我々には自分や他人がが今までどれだけの事をしてきたかが重要という価値観が強く根付いており
更に、そこには人間が自分を中心として物を見たり、考えたりする頑固な価値観があります。
人間はみんな、自分を中心に回っているという判断を下し、周囲によって世界が回っていると捉えられる人はごくわずかです。
これはコペルニクスの地動説を例に挙げると分かりやすいでしょう。
コペルニクスが地動説を唱えるまでは、誰しもが地球を中心に宇宙が回っているという考えを持って疑っていませんでした。しかし、それはあくまでコペルニクス以外の人物が、客観的な事実に基づかず、自分たちが正しいと思って疑わなかったからです。
自分たちの地球が中心だと考えていた時と同じ、自分を中心に考えていると、正確な判断が出来ない状態に陥ってしまいます。
だからこそ、僕自身は今考えている事が自分中心になっていないか、もしくは、周囲のバイアスによって正しいと思い込んでいないかを考えることが重要だと再認識しました。
「大手が良い」「今はベンチャーがトレンドだからベンチャーに入る」
自分の中で、周囲によって得られた「当たり前」が醸成されていないですか??
自分の中で正しいと思い込んでいることが本当に正しい事なのか、改めて検証してみると良いでしょう!
真実の経験について

いつでも自分が本当に感じた事や、真実心を動かされた事から出発して、その意味を考えていくこと。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったことを、少しもごまかしてはいけない。
おじさんNOTEにはこう書き綴ってありました。
そうすることで、君がある感動を受けた、という繰り返すことのないただ一度の経験の中に、
その時だけにとどまらない意味のあることが分かってきます。
要は「自分の感動体験を言語化しよう!」ってことに尽きるのかなと思います。
・何に心を動かされたのか
・その中の特に何に心を動かされたのか
・それになぜ心を動かされたのか
・じゃあどうすれば自分の心は動くのか
そこまで言語化できれば、自分がどんな場面で感動し、どのようにすれば感動を生み出せるのか、再現性を持たせることが出来ます。
この時に大事なのは「誰がなんと言ったって」という前置きです。
子供のうちは言われたように行動し、教えられたとおりに生きていく事が正しいですが、大人は違います。肝心な事は、世間の目よりも何よりも、自身がまず、人間の立派さがどこにあるのかを本当に魂で知る事が重要です。そして、心底立派な人間になりたいという気持ちを起こすことが重要です。
そこには他者の意志ではなく、自分の意志が最初に反映されるべきです。
人間であるからには~貧乏から学ぶ~

人間は何かには引け目を感じているもので、自尊心を傷つけられるほど嫌なことはないです。
傷つきやすい自尊心を心なく傷つけるような事は、決してあってはなりません。
また、自分の人間としての値打ちに本当の自信を持っているヒトだったら、境遇が違くても、ちゃんと生きていられるはずです。
僕の中で残ったフレーズが、
「境遇に関してなお自信を失わずにいれる事が大人になる事である」です。
これは環境に満足できず煮え切らなかった後悔が僕の中であるからです。
だからこそ、良いにしろ悪いにしろ、とにかく今ある境遇や環境に感謝することが大切です。
「ありがたい」には感謝の意味合いもありますが本来の意味は、
「有難い」、すなわちめったにない事を指します。
自分の今置かれている環境、立場、境遇、役職に関して当たり前ではないことを認知し、
その中で自分が何をしたいのかを問い正すのが重要です。
人間の悩みと、過ちと、偉大さについて

こころに感じる辛さや苦しみは人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを僕たちに知らせてくれる。その痛みのおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捉えることが出来る
人が本当に心にしみる辛さや苦しみは、
損得ではなく、道義の心から「しまった」という風に思える取り返しのつかない過ちを犯した時だと僕は思います。
そうした時に人の本性が見えると僕は考えています。
損得や周囲の賞賛を抜いた時に起きた後悔を認知した時
①認めるのが辛くて、自身を正当化してしまう。
②自分はそうではなく行動できたのにと考える。
のいずれかの行動を取るのではないかと僕は考えています。
自らが偉大な存在になるためには②を考え、自分とはという価値観を捉えたうえで、
次の実行に向けて改善していくことに尽きると思います。
後悔という苦しみから新たな自信を生み出していきましょう。
最後まで読んでくださったみなさんへ
僕がこの要約から伝えたいことは以下の4つです。
①周囲の正しいは決して正しいではない。自分がマイノリティになっても何が正しいのかを模索していくのが必要
②その中で、周囲の環境に不満を持つのではなく、自分軸によって動く
③感動体験を振り返り言語化出来れば、自分が本当に幸せな瞬間を再現できる
➃後悔経験を振り返り言語化出来れば、自分がしたくない事、更に拡大させてやりたい事が見つかるから、とにかく後悔など自分の弱い面に向き合う時間が重要
僕のこの記事に共感できた方は、自分がどう生きていきたいかをもう一度見直してみてください。
ではまた…。

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